シアトルからのデイトリップ!マウントレーニア経由でヤキマまで。
旅は断然レンタカーで!
これは短いながらも当ブログでさんざん申し上げている
ことではあるので、
自然と旅の記録はクルマ中心になってまいります。
年一回の国際免許更新は必須、いやこれはそんな難しいこと
じゃない。
だけど、なんで更新が年一回なのか・・・もうちょっと
せめて3年有効とかにしてくれりゃいいのに、
地味に更新料と鮫洲に行く手間が面倒ではあるのです。
無くちゃ困るから絶対に行く・・・よって意外に財源になっているのやも
しれませんが。
というわけでだらだら飛び飛びおはなししてきた、
あの日のシアトル、最終話。
第二のシリコンバレー、と言われるほどに
近代先進都市の様相を呈する現代のシアトルですが、
notre-beau-monde.hatenablog.com
notre-beau-monde.hatenablog.com
実はネイティブアメリカンの居住地として1775年ごろまでは
あちこちに部族が住んでいたといいます。
だいたい「シアトル」という名前自体もここにそもそも暮らしていた
スコーミッシュ族のシアルス酋長から来ているし、
シアトルのダウンタウンにはこのシアルス酋長の胸像や、
トーテムポールなど、アーリーアメリカンを偲ぶあれこれがたくさん
展示されています。
さらに、シアトル周辺には北海道のアイヌの地名のように、
もともとネイティブアメリカンが呼んでいた地名がそのまま
残されているのです。
わたしたちがこの日、デイトリップに選んだ最終地点も、
ヤキマ Yakimaという街で、この名もヤカマ族にちなんで
名付けられたそうな
でも敢えて行くまでもないような、なんともひなびた街であった・・・
ごめんなさい・・・
しかしここは日本人にはとても縁の深い・・・
というにはあまりに悲しい歴史のある街だった。
かつて日系移民がたくさん暮らした日本人移民コミュニティーがあったこの地にて、
第二次世界大戦下、1000人以上が強制収容所に送られたのだという。
こんな場所にパイオニア精神を持って日本から移住してきたのも
ほんとうにすごいことだけけれど、
異国で戦争に巻き込まれて意図せず権力誇示の犠牲になってしまうことの
あまりに虚しいこと・・・
戦争は何も産まない。
祈りながら街を後にする。
で、なんでそんなところに行きたかったの?ということなのですが、
わたしココに行きたかったの、その折返し地点がヤキマだったの。
そう、日本人なら誰でも知ってるマウントレーニア、は、
カフェラテのこれだよ
あ、これってアメリカだったんだ!くらい知識がなかったんですが、
スミスタワーいったとき気付いた(見えるから)
notre-beau-monde.hatenablog.com
で、行ったらマウントレーニアは超絶広大な国立公園になっていて、
中にスキー場とかもどうやらあるっぽい、
全容など図り知れぬ感じで
さらっとドライブ行って帰ってきたよ・・・
マウントレーニア山系から清涼な川がたくさんあって、
このあたりは湖なんかもあり、
バケーションハウスのようなおうちも転々とあって。
ほんとこういうの見ると、
どこもかしこも人がいる日本って、やっぱ国土狭いよな〜!!って
思ってしまうのです。
適当に川辺に入って、
ハックルベリーが流れてきそうな水面をずっと観てた。
木々の感じがすごくアメリカン・カントリーサイドって感じで
そのサイズ感とかもああ、所変われば・・・って爺みたいに、
おもっちゃう私なのでした。
こういう、まだ観ぬ景色とか、あまりメジャーじゃないもので、
自分の感性に響くものを期せずして見つけたとき、邂逅したときこそ
人生における至上の喜びだと思ってしまいます。
というわけで、シアトル旅終了〜☆
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